信長の鉄甲船阿武丸 狭山造船所京橋船台
模 型 事 始 め
少年の頃、家族に連れられて夜店に出かけた。往時は香具師(やし)と言うものが健在で、怪しげな口上で、占いをし、もどき商品を売り、なかなかに賑やかであった。
その中で数少ない 真っ当な出店で、金づちと、のこぎりと玩具のサーベルを買ってもらった。サーベルはブリキのヘロヘロですぐにこわれたが、金づちと、のこぎりは頑丈で、それを使ってなにか木切れがあれば刀を、竹があったら弓矢を、厚紙があれば飛行機や鉄砲やらを作って遊んでいた。少年といえどもリアリティへのこだわりが強かったからいつも不満をかかえていた。ただし、そんなに技術のあるわけでもなく、まだまだ物の豊でない時代、道具も材料も揃わず、満足なものは作りようもなかった。
それなりに成長してそんなことも忘れていたが、長じてたまたま目に留まっ
帆船模型第 1 作 目 の カティーサーク
た木製帆船模型「カティサーク」のキットを見て、その頃の夢がよみがえり、急いで買って数年掛かりで造りあげた。
初めてにしてはまずは良い出来に仕上がった。以来我が家のリビングに厳然と存在している。
それから 3 0 数年、ブランクもあったが帆船模型造りは今も続いている。始めはそんなふうでキットを組み立てていたが、近時は古代船やら時代物に凝っている。
あまり模型として発表されていない船を探して資料を探し、地元の図書館、資料館、はたまた旧家を尋ねて教えを請い、設計図を書いて復元している。材料を探して東奔西走(ちよっと言い過ぎ)して復元建造する。造った模型船は、その船の縁のある地域の博物館やら資料館に寄贈して、公開をしてもらっている。
そしてその資料館には一度は会いに行くようにしているが、未だ果たさない所もある。今は九州から、北は青森までの各地の十個所に寄贈した船は
あるが、北海道には未だない。
当面は北海道に1隻置いて頂くのが目標である。